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10月5日

 曇りのち晴れ、????km、???km、10−20度
今朝はいよいよ、デフのオイルを交換した後出発です。朝6時過ぎから出発の支度をはじめました。7時半ごろ窓から工場(MIDAS)を見ると、OPENのネオンが見えましえた。早い、急いでヘルメットをかぶって工場に行きました。まだ、開けたばかりで、昨日のメカの人はまだ来ていません。もう少ししたら来ると思うから待っててるように言われました。
しばらくするとトラックに乗って、昨日受けてくれた人(SCOTT)が来ました。9時半、さっさとデフのオイルを交換してくれました。随分少ないなって言ってました。アメリカには何で来たんだって聞くので新聞のコピーを見せると、読み終わった後に握手を求められました。そして、一緒に事務所に行くってお金を払おうとすると、いらないから気をつけて完走してくれって言われました。
御礼を言ってモーテルに戻りました。笑顔でオーナーが迎えてくれます。朝食のドーナッツとコーヒーを食べて、奥さんと娘さんにもありがとうって言ってくださいと、オーナーにお願いして、10時半CapeGiradeauのハエを追ったモーテルに別れを告げて、INT55のインターへ向かいました。インターの手前に直してもらったホンダがあります。
  横目で見てINT55の北へ乗りました。デフの音はすごく静かになりました。エンジンも快調、ミッションの入りも良いし、クラッチも軽くなりました。ただ、音が気になります。なんともいえない音です。低速ではベアリングのグリスがなくなったところを無理やり回しているような、キュキュという音がします。高速になるとブーン、キーンという音が混じったような音がします。なんか、まだおかしい。そう感じながら、早くトライクをいじってるホンダに行かなきゃと、先を急ぎました。
高速に乗って30分も走ったでしょうか、また、例の音と、振動。今度だけはデフの音が消えていたのですぐに分かりました。プロペラシャフトです。ジョイントか???ハザードをつけて速度を落として端に寄せました。また復活してくれ、祈るようでした。でも、ダメでした。11時半、ついに高速道路の上で動かなくなりました。
 エンジンは回っていますが、出力が後輪に伝わりません。はー、ついにこの時が来たか、空を見上げました。ある程度、こうゆうこともある事は予想していたものの、現実に動かなくなるとかなりショックです。携帯電話で連絡をしようとすると、この地域はテンポラリー地域で……って、おじさんの声で言われて、繋がりません。
そのうち電池もなくなってしまいました。あー、とりあえず車椅子に乗って、故障している所を工場へ入れ、部品を交換しなければ動かないのを確認して(最後通告を自分で確認するのは、つらかったなー)何をするべきか考えました。後ろを見ると左のコンビネーションランプが外れてしまっていたので、それを直しながら考えました。(そんなもの今やってる場合か?)
さっき通過したEXITまで約2Milだから、そこで降りて公衆電話でホンダに電話して取りに来てもらおう。EXITへ向けて、車椅子で動き出しました。手を上げても、なかなか停まってくれません。下手に停まると、後ろから何人も出てきて襲われるということが良くあるそうです。逆に、停まってくれた人に襲われるということも良くあると聞きました。かなりピリピリしながら車椅子を動かしていました。
  20分位たった後、前から来る車がハザードを点けて車を寄せてきます。中を見ると人のよさそうな初老の夫婦でした(EDとMarilyn)。一安心して、ホンダに連絡したいんだと言うと、携帯を持っていないのでできないけど、一緒に行くかって言ってくれまた。
そんな話をしていると反対車線に赤いトラックを停めて、男の人が来てくれました。2組とも一度僕の横を通過して、次のEXITで降りて、回ってきてくれたそうです。彼が携帯電話を持っていたのでホンダにWORLD OF HONDAに電話してくれました。チーフメカニックに音と振動のことを言って、直してくれと言っておいて直って無く、止まってしまったので、慌てて取りに来ました。トライクをトラックに乗せていると、ポリスが来て文句を言っていますが、そのうちトライクを押すのを手伝ってくれまた。
 助けてくれた夫婦が車に乗せてくれて、いっしょにホンダまで行ってくれました。チーフメカニックが出てきてヨークが壊れているのを確認して、うちではできないから、そのトライクを扱っている店に行ってくれって。ごねても良かったのかもしれませんが、この店のメカにはこれ以上いじって欲しくありませんでした。ついに、陸送の登場です。聞くと400ドルかかるって。
最も、距離が200MILくらいあるんだけど。助けてもらった人と相談すると、今日はうちに泊まって、家の近所にTGという日本の会社があるから、そこだったら日本人が大勢働いてるから、相談してみようと言うことになりました。トライクはそのまま預かってもらって、その人たちの車で北に向かいましたPerryvilleという町です。TGに着いて、日本人に面会を頼むと梅田さんと言う人が出てきました。事情を説明すると、会社のトラックは使えないのでやっぱりAAAのサービスを使うしかないという結論が出ました。なんかあったら電話をくださいと言われて別れました。
  彼らにその事を説明すると、家に帰る途中で何軒か修理屋さんとか運送屋さんをあたってくれました。途中、記者にも会って取材を受けました。家に行く途中の道には牛を放牧していたり、とうもろこしが植わっていたり、小さな丘が重なった静かな場所です。道から200mくらい奥に入ると家がありました。
家に入ると、いたるところにクロスやキリストやマリアの絵が飾ってあります。夜まで少し仮眠させてもらいました。5人子供がいて、今は一番下の子供と暮らしています。夕食の時間に起こされました。ちゃんと、手を組んでアーメンっていて食べ始めています。夕食後もいろいろ、運送してくれる人をあたってくれたのですが、結局AAAに頼むことにしました。
朝、トライクを取りに行ってくれて、僕を乗せて違う店まで行ってくれるそうです。Edは元エアホースの電子技術者で、奥さんはハワイのオアフ島出身です。お父さんはフィリピンからのボートピープルで大変苦労したそうです。お母さんはハワイの人です。まだ二人とも60歳台でなくなったそうです。息子さんが18歳のときに亡くなっているそうです。そのせいもあってか、二人で世界中のいろんな教会を訪問していたそうです。日本にも長崎と秋田に来たことがあるって言ってました。
 夜も、遅くなってきました。障害者の事についても話をしました。障害を持った子供を親は隠さないで、どんどん外に出した方が良いって話をすると、妹さんがNYに住んでいるけれども、息子さんがメンタルハンディキャップで、でも率先して外に出し手暮らしているって誉めていました。でも、この地域でも、隠すように育てている人はいるって話してくれました。また、TVで見た日本での過疎の事にとっても関心をもっていました。今日は本当に長い一日でした。でも、また良い人にめぐり合えました。感謝。

【写真説明】 上から
「デフオイルを交換してくれたScott」
「モーテルの部屋」
「デフオイルを交換してくれた工場」
「ついにINT55で止まったトライク」
「助けてくれた人達」
「高速道路の反対車線から駆けつけてくれた」
「ポリスもいっしょに押してくれてる」



10月6日

 曇りのち晴れ、????km、???km、10−30度
今朝はみんな早起きです。寝てて良いといわれたので、ベッドに入ってましたが早朝礼拝に出かけたり、息子の学校も6時ごろ出て行ったりしていました。それでも8時に起きて、ささっと用意をして朝食をいただいていると、トラック屋さんから電話がありました。15分後に出発しなければなりません。かばんを持って、さーでかけようというときに、エディーが教会から帰ってきました。なんていいタイミング、9:30待ち合わせ場所のバーガーキングに着くと、トラックはもう待っていました。
 エディーとマリーンに別れを告げてトラックに乗り込みました。若い人で、オーストラリア人の彼女がいて、来年オーストラリアに行くんだって話していました。クッションは異様に悪く、バイクに乗ってるより体に悪いような気がします。最初は今にも雨が降りそうだったのですが、だんだんと晴れてきました。
 途中、休憩所で停まったんだけど、だけど寒い。こっちに来てから一番寒く感じます。300Mil近く走った気がしません。昼前にはillinoiのlitchfieldと言う街にあるNIEHAUSホンダという3輪の改造もしているお店につきました。今、昼なので話は聞いてるから、すぐにとりかかるからまっててといわれて、しばらく待っていました。
 ただ待っていてもしょうがないので、お店の中を見たりしていましたが、それでも時間が余ってしまうので、今日泊まるモーテルを予約しに行きました。モーテルにチェックインをしてバイク屋に戻ると、駐車場にあったトライクがありません。サービスの人に聞くと、もう仕事にかかってるよって言ったので、見せてもらいました。
エンジンからの出力部分のヨークのベアリングが壊れていて、削れてしまっています。この部品は、あるから夕方には直るといわれてホッとしました。あんまり、見ていても悪いので、お店に行ったり、お店にきたお客さんと話をしたり、工事の人と話をしたりしながら時間を過ごしていました。
 5時過ぎに完成して、外へ持って行って試乗をしていました。ここの人はこの間の人とは違って、とても前向きに仕事をしています。外は、冬のような寒さになってきました。自分でも試乗をしました。ちょっと振動が多いなと思って言いましたが、一応、乗ってみるといって引き上げました。
荷物を積んで、支度をして(寒いので工場の中にバイクを入れてくれた)ありがとうと言ってモーテルへ向かいました。でも、気になるのでモーテルを通過して、旧66号線を北へ向かって試乗に出かけました。あたりは暗くなってきていて、寒さがジャンバーを通して入ってきます。やっぱり同じような音がするなーと思いながら、体も冷えてきたしUターンして戻りました。
 もう少しでモーテルというところで、例の音と振動が出ました。あちゃーやばいな。ハザードをつけて狭い路肩に寄せました。もう日が暮れかかっています。車を運転している人の顔も良く見えません。バイクはまたもや動きません。サイドカバーを外して中を見ると、プロペラシャフトが外れています。やっぱりプロベラシャフトが曲がってるんだなと思いました。でも、どうしよう。案の定、携帯電話は使えません。
 車はこないし寒いし暗いし。前のときに比べると、格段に条件が悪いんです。こんなときは、スニッカーズ。いつか、こんな日が来るかも知れないとカバンに一つ入れてあります。かじかむ手で一口食べて考えました。ここから、バイク屋まで約5km、ちょっと狭い道路なのでトライクを置いておくのは心配だけど、車いすでホンダの人を呼びに行くことにしました。
車いすを下ろして乗り込もうとしている時に、ハザードを点けて後ろに車がとまりました。男性と女性が乗っていました。ホンダに連絡したいというと、携帯は持ってないので車で行ってくるから待っててと言ってくれました。本当に寒くて、凍えそうなときにありがたかったです。
 あんなに止まってくれなかった車が、彼らが呼びに言ってくれている間にもう一台停まってくれました。今呼びに言ってもらってるというと、でも寒いのに大丈夫かって聞いてくれました。あんまり大丈夫ではなかったけど、大丈夫といっていると、さっきの車が帰ってきてくれました。
ホンダの人がすぐにくるから、やっぱり寒いけど平気かって聞いてくれました。全然、平気ではなかったのですが、話をしてたら、丁度ホンダの人がバイクを取りにきてくれたので、みんな気をつけてなっていって帰っていきました。どうしたって聞かれたので、外した再度カバーの所を指差して、ドライブシャフトが外れて動かないって言いました。
 すぐにレッカーに乗せて。モーテルに送ってもらいました。彼らは明日の朝、電話するからって言って工場へ帰っていきました。こんなに続くと、これでもかって、神様に試されているようなきがしてきます。おかげで精神的にはボロボロです。でも、ちょっと芽を出した所でたたかれて、起き上がってくるのを待たれているような気がしてます。
 僕が完走することを楽しみにしている人のためにも、僕の完走を手助けしてくれてる人のためにも、アメリカで日本でサポートしてくれてる人のためにも……。

【写真説明】
上から
「Marilynが朝食とランチパックを作ってくれた。」
「Edの家のプライベート湖?」
「トラックの運転手」
「荷台に詰まれているトライク」
「StLouis ミシシッピ-リバーにかかる橋」
「休憩場のピクニックテーブルなのだがどこがハンディキャップ用なのか?」
「工場の前で降ろされるトライク」
「早速、工場でばらされる」
「rochyこのときは、よかったのだが」
「またもや、止まった」

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画像は説明を別記しましたので、ALT属性には何も記載してありません。また、諸事情とリンク先にテキスト情報が無いため、拡大画像に直接リンクを張ってあります。