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9月5日

 <晴れ>
車椅子のクッションを扱っている店を紹介してもらおうと思い、朝一番で篠田さんへ電話をしました。町の介護用品を扱ってる店を紹介していただきました。背が縮まったままでYMCAのマネージャーと挨拶をして、YMCAを後にしました。外に和さんとお友達が一緒にツーリングに行くために待っていてくれています。理由を説明すると、一緒にクッション探しをした後、途中まで送ってくれるって!気持ちのいい人たちです。
街では見つからなかったので、レーシングウィルチェア−を製作しているボブの工場に篠田さんと合流して行きました。ピッタリのクッションが見つかりました。また工場を見学させてもらい、ボストンマラソンを走るウィルチェア−を見てきました。ここで篠田さんと別れて、バイク5台のツーリングです。あまりスピードが出ないのをかずさんに伝えておいたので、80kmくらいで、ゆっくり走ってくれました。サービスエリアで4台のビックバイクと別れを告げてNYへ向けて走りだしました。
 ここからしNYCまでは水野さんとの二人旅です。NYCへ近づくと路面がかなり荒れています。いよいよNYC、首都高速を広くしたような道です。かずさんに教わったとおり走っていましたが、一箇所、間違ってしまいました。マンハッタンを越えてニュージャージーへ。しまった、引き返すと、今度は4ドルかかる変な道です。9号線に乗らなければならなかったのが、またもや通り過ぎてしまい、仕方がないのでマンハッタンの北側に入りました。
そう、ハーレムのど真ん中です。5年前に比べると、嘘のように静かになっていました。それでも、はじめてのNYCでしかもハーレムに入ってしまった、水野さんはかなり緊張していました。通りを走ってると、たくさんの黒人の少年たちが手を振ったりしてくれます。信号待ちをすると隣の車から「いくらだ?」どうも値段が一番気になるらしい。
 ハーレムの真中あたりに来たときに、一台の車がトライクの前に斜めに頭を突っ込んできて、何だかんだと言ってきました。これには、僕もちょっと緊張しました。水野さんは完全にびびって、早く行こう、早く行こうって。南に向かってまっすぐ降りていきました。
本当にはっきりと、住み分けができています。セントラルパークの北側を過ぎると街が綺麗になっていきます。夕方になって、だいぶ暗くなってきました。タイムズスクエア−を過ぎて東へ折れました。国連の脇でYMCAの場所をポリスに聞いて、通りに出て信号待ちをしました。信号が青に変わってスタート、バキッという音と共に、ハンドルを思いっきり右に取られました。すぐにデフがいった事がわかりました。左のドライブシャフトが折れたんだって。何とか上り坂の途中まで動かして、交差点の近くに止めました。そこで、もう動きません。
 国連総会の厳戒態勢の真っ只中で、どうしたらいいか、こんな状況なのになんか落ち着いて考えていました。とりあえず、上田さんに連絡をとってみようということになり、水野さんに電話をしてもらったが、びっくりしてしまい、なかなか電話ができませんでした。ポリスに聞いて何とか電話をしたものの留守番電話……。
とりあえず警備しているポリスに「ちょっとだけトライクを見ててって」とお願いをして、荷物を歩いて5分ほどのYMCAへ運びチェックインを済ませると、なんと、上田さんが20分くらい走って駆けつけてくれました。トライクが置いてあるところに戻ると、ポリスが早く動かせと言っています。
 上田さんが近くの地下駐車場のおじさんと交渉してくれて、ほんとうはバイクは止めないけど、一晩だけOKをとってくれました。動かなくなったトライクを押して駐車場に収めると、もう9時を回っていました。その後上田さんと食事をしてYMCAに帰ってきたのは11時を回っていました。
さて、メールでも……。部屋を見回しても電話がありません。YMCAの宿は今は懐かしい共同トイレ、共同シャワー室でした。それでも、他の部屋は2段ベッドが入ってるのに比べて、ハンディキャップルームはセミダブルベッドがひとつ置いてあるだけでしたが、狭くて小さ目の車椅子でないと使えません。トイレにある洗面台は高くて、顔を洗っていると肘のほうに水か流れてきます。その夜は泥のようになって寝てしまいました。

 【写真説明】 上から
「篠田さんちに集まった人たち ボストン」
「和さんと友達」
「介護用品の店の前で」
「ボブホーリーの工場」
「ボブとみんな」
「和さんたちとお別れのサービスエリアで」



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